雑記

マタニティ旅行でこれまでの28年間を振り返る

おもち

はじめまして。心理的安全性の高い職場にしたい若手OL、おもち(@omochidaihuk)です。

無事に安定期に入ったので、旦那さんとマタニティ旅行に来ました✈️

とにかく『のんびり、ゆったり過ごす』のを前提に、1泊2日の温泉旅行に行ってきました。

露天風呂付き客室だったので、お風呂に入りながら、これまでの自分の人生を振り返ります。

幼少期の大人しすぎる性格について

母によると、幼少期の私はほとんど手のかからない子どもで、イヤイヤ期もなく、おとなしい子だったそうです。

特に癇癪を起こしたり、泣き喚いてワガママを言ったりすることはなく、とにかく育てやすかったとのことでした。

お菓子を食べるときも、必ず椅子に座って、テーブルの上でこぼさずに食べていたようで、近所の子が私の家に遊びに来て、クッキーをボロボロこぼしながら食べていたのを、母は不思議に思いながら見ていたそうです。

母の記憶の中の私は、『お利口さんで、育てやすい子』だったらしいですが、私の記憶の中では、『他人に意見を言うことができない、お人好しな子』でした。

弱虫で、他人から何かキツく言われたらすぐに泣いてしまうくらい、自分に自信がない子でした。

友達を作るのも苦手で、幼稚園の頃はいつもひとりぼっちで遊んでいた記憶しかない…。

その後、小学生のときに転校をして、クラスに馴染むことができず、小学校1年生〜2年生の間は、ずっと一人ぼっちでした。

どこかのタイミングで、『このままじゃまずい!』と思い、自分から周りに声をかけるようになり、そこから友達がたくさん増えていきました。

そのきっかけは何だったのか分からないけど、ある程度年齢が上がるにつれて、一人ぼっちだとクラスで浮いてしまうんだという自覚が芽生え始めたんだと思います。

友達が増え始めると、だんだんと静かだった性格から、明るい性格に変わり始めていきました。

中学校で吹奏楽部に入り、自信をつけはじめる

部活動は吹奏楽を選び、楽器はクラリネットになりました。

本当は、見た目がカッコ良いサックス志望だったけど、オーディションで落ちてしまい、希望していなかったクラリネットパートに入ることになります。

パートが決まると、腹式呼吸の練習から始まり、30秒間一定の量の息を吐き続けることができたら、ようやく楽器の練習に入れるという制度で、私は部員の中でもビリから3番目くらいにようやく合格できました。

楽器の練習に入るのが遅かったせいか、他の子よりも上達するのが遅く、ずっと3rdでした。

しかし、あるとき、顧問の先生から2ndの譜面を渡され、その後、コンクールの練習に入る頃には1stの譜面を渡されるようになりました。

私は昔から先輩受けが悪く、可愛がられる性格ではなかったので、先輩たちからは、私が1stであることをとにかく嫌がられていた記憶があります。

そんな苦手だった先輩方も引退する時期になり、その後も1stで演奏させてもらい続けました。

また、木管楽器のセクションリーダーに選ばれ、自分の人生で初めて他人に意見を伝える経験をしました。

その辺から、初めて自分に自信を持つことができたんだと思います。

けれども、それは部活にいるときだけで、友達同士ではやっぱり自分の意見が言えない…

まだまだ自分に自信を持つのは苦手で、常に他人と比べてばかりの性格でした。

高校の部活で精神的に強くなるも、受験で失敗してから自信をなくす

高校でも吹奏楽部に入り、1stを担当することができ、学生指揮者に選ばれました。

中学の頃よりも、さらに精神的に強くなり、ここでの経験は人生の中でトップレベルにキツかったと思います。

私は部活と勉強を両立させることができず、3年生の夏のコンクールでは、自分が長いソロを任されたのもあり、他の子よりも朝練と放課後の練習に没頭してしまい、受験勉強をほとんどしませんでした。

指定校推薦ではそこそこの大学に行けたものの、一般入試で行きたい大学があったため、その推薦を蹴り、受験して合格を目指しました。

今思えば、推薦で行っておけば、受験料もかからず、よかったなぁと後悔しています。

受験勉強を始めたのは、高3の10月で、先生からは『始めるのが遅すぎる!!そんなんじゃ〇〇大学ですら合格できないよ!!』と煽られ、ようやく自分の今のレベルがやばいことに気付きました。

そこから勉強を頑張ってはみたものの、結果、滑り止めの大学しか合格できませんでした。

今でも、大学受験は自分の人生の中で最も後悔する経験であり、学歴にコンプレックスを抱えています。

もっと早く勉強を始めればよかった、自分の頭のレベルでは部活なんて二の次に考えるべきだった…

なんで自分は頭が悪いんだろう、どうして他の子のように要領よくできないんだろう。

ずっと後悔しています。

大学でアパレルのバイトを始め、人と話すことが好きになる

大学では、特に苦労することなく単位を取り終え、3年の後半からはほぼなにもやることがない状態でした。

ほとんど、遊びか、就活に向けた勉強か、バイトに明け暮れる生活でした。

バイトは、塾講師(半年で辞める)、カフェ(速攻で辞める)、美術館(短期)、ベネッセの採点(1〜2ヶ月)と色々やってみましたが、一番続いたのは、アパレル(トータル3年)でした。

アパレルバイトは、とにかく人と話すことが多かったため、そこでの経験のおかげで、自分の性格が明るくなったんだと思います。

また、女社会の殺伐とした雰囲気も経験し、社会に出てからそこでの経験が意外と活きています。

アルバイトって、普通は大学生のうちしか経験できないからこそ、いろんな職種にチャレンジすると楽しいんだろうなぁと思います。

社会人になり、様々な経験を経て、強い自信を持ち始める

新卒で配属した部署は、とにかくカオスな部署で、たくさん理不尽な目に遭いました。

残業が多く、仕事をやってもやっても終わらない…

社会人2年目からは精神的におかしくなり、お酒でストレスを発散する日々で、知らない人とオールばかりしていました。

途中で、このままじゃまずいなと思い始め、先輩が異動し、自分が主担当になったタイミングで、自分なりに業務の進め方を変えてみました。

その結果、みるみる仕事量が減り、残業時間が短縮されていったのです。

これが、業務効率化に目覚めたきっかけになります。

社会人3年目からは、仕事が楽しくなり始め、勤務評価では一番良い評価をいただくことができました。

これもまた、自分に自信を持つことができるようになったきっかけだと思います。

結婚、妊娠を通じて、親からの愛を再確認し、自己肯定感が強くなる

結婚して、妊娠をした今、一番母との絆が深まっている気がします。

母から、私が幼かった頃の話を聞くたびに、自分はたくさんの愛情を注いでもらっていたのだということに気付き、その愛が本当に嬉しく、自己肯定感に繋がっている気がします。

また、旦那さんからの愛情にも助けられることが多く、この人と結婚して本当によかったなと、心の底から思います。

今まで色んな恋愛をしましたが、こんなにも自分のことを第一に考えてくれる人はいませんでした。

私は両親が早くに離婚していることもあり、ずっと温かい家族に憧れがありました。

父親は、借金、ギャンブル、浮気、子育て放棄、と本当に酷い人だったので……

そんな父親でしたが、母や祖父母からたくさんの愛情を注いでもらい、旦那さんからの愛情が加わったおかげで、今は自分自身を愛することができています。

なんだかんだ他者からの愛って必要なんだなと思います。

これから生まれてくるおベビへ

今、小さな命が自分たちのもとに宿ってくれて、新しい人生が始まろうとしています。

人生は辛いことがたくさんあるけれども、それ以上に楽しいことがたくさんあるし、刺激的で飽きないゲームだと思います。

おベビにとって、人生の宝物だと思えるような経験ができるよう、親としてサポートができたらと思います。

まだまだ私の胎内で育つ期間は続くけど、強く、頑張って生きてね😌

明日は美味しいお宿の朝食を食べて、観光して帰るぞー!!

ABOUT ME
おもち
27歳OLです。中小企業診断士の資格取得を目指し勉強中。誰かにわかりやすく伝えることが好きで、会社では暇さえあればマニュアル作ってます。部下にとって、相談しやすい理想の上司になることが目標。”誰でもできる”お仕事術や考え方を発信しています。