はじめまして。心理的安全性の高い職場にしたい若手OL、おもち(@omochidaihuk)です。
産休に入るまで、残りわずかとなりました。
この後、何も問題なく順調にいけば、1年以上お仕事をお休みすることになります。
こんなに長い期間休むことなんて、人生でないだろうなぁ…。
今日はこれまでの社会人生活について振り返ります。
【1年目】新卒で配属となった部署がカオスすぎて毎日が辛い
新卒で配属となった部署は、入った直後の4~6月が最も繁忙期で、とにかく殺伐とした雰囲気の職場でした。
配属となった初日に、いきなりお客様からの問い合わせにでるよう指示されたり、先輩方も忙しすぎて教えてくれる雰囲気ではありませんでした。
最悪!!!部署ガチャ失敗だ~~~~(´;ω;`)
また、業務の内容もいまいち理解することができず、ミスを連発してしまい、自己嫌悪に陥る日々でした。
そんな状態にも関わらず、何人かの先輩方と上司からは評価していただき(今思えば頼みやすかっただけなのかな…?)、難易度の高い業務内容のチームに入るよう命じられました。
そこからがさらに地獄…
理解しようにもすることができない、システムの仕組みや制度の内容…
毎日必死に勉強するも、次から次へと新しく覚えることが増える一方で、周りについていけない。
そして、残業の嵐。平均40時間は残業する日々で、役職が上がる6年目までの給料の中では、2年目の給料がトップでした。
そんな中、社会人2年目を迎えるころ、唯一頼れる先輩が異動となってしまい、自分一人で全て判断しなければいけない状況になってしまった挙句、コロナウイルスが流行りはじめ、さらにカオスな状況となっていきました。
【2年目】コロナ禍で職場が崩壊する中、誰にも頼ることができず、お酒でストレス発散する
社会人2年目の2020年、新型コロナウイルスが流行りはじめ、職場は崩壊していきました。
この年、さらに運が悪いことに、ベテランの先輩方がドッサリ異動となってしまったのです。
頼りになる先輩が一人もいない。
そんな中で、周りの社員からは質問される一方。
自分一人で判断しなければいけない状況になってしまいました。
感染対策で、社員の数を半分に減らしての出社となり、業務量は減らないにも関わらず、社員は半分に減るという、非常に最悪な状況でした。
コロナ関係なしに、職場が一番パンデミックだよ。
これこそ、職場崩壊が起きていたんだと思います。
社員全員が精神的にもおかしくなり、お互いに傷つけあう毎日…
助けてくれる先輩は一人もいない。
今思い返しても本当に辛い日々でした。
そんな状態で、ストレスを解消するために、コロナが少し収束した頃から、毎週金曜日の夜は渋谷に行って、友達と飲み歩く日々を過ごしていました。
お酒でなんとか精神をハイにして、仕事を乗り切る。
ある意味、少し鬱状態に入っていたんだと思います。
そんな2年目を過ごしている中、「このままの生活で良いのだろうか?」と我に返ります。
そして、社会人3年目を迎える前あたりで、業務改善に目覚め、そこから劇的に仕事が楽になっていきました。
【3年目】ECRSで業務を改善し、残業時間を月10時間以下に減らすことに成功
このブログでも以前紹介したことのある、ECRSの原則に基づき、業務を改善していきました。

この手法は、調べて知ったわけではなく、自然と自分で動いた結果、この手法に近い動きとなっていました。
まず、業務の手順を一から見直し、無駄な業務を省き、複雑な手順を踏んでいた業務をシンプルな手順に変更するなど、特に難しいことはせず、業務の進め方を変えてみました。
また、周囲から質問される毎日で、自分の時間が減っていたことも問題だったため、誰でも読めば分かるマニュアルを作成しました。

その結果、周囲からの質問が以前より圧倒的に減り、また、社員のミスが減ったことによりそのミスをカバーするという業務も減りました。
ここから一気に仕事が楽しくなり始めた気がします。
そして、3年目の人事評価では、なかなかもらうことができない、最高評価をいただくことができました。
心の底から嬉しくて、3年間の努力が報われた気がしました。
こんな感じで怒涛の3年間を乗り切り、新たな部署へ異動となったのですが、異動先の部署はベクトルの違ったカオスな環境だったのです。
【4年目】人間関係が悪すぎて風通しの悪い部署に配属となり、転職をしようか迷う
社会人4年目に配属となった部署は、とにかく人間関係が悪く、風通しの悪い部署でした。
噂では、何人もの人が病休に入ったり、すぐに退職してしまう人がいたり、といったことを聞いていましたが、確かにみんな仲が悪い…
さらには、前部署同様に、マニュアルが整備されていない!
社員同士で悪口を言い合う環境で、前の部署とはベクトルが異なるカオスな環境でした。
このまま異動してもずっとこんな嫌なことが続くのならば、いっそ転職してしまおうか…
安定を捨てて、転職してしまおうかと本気で悩みました。

転職活動はしたものの、やはり今の職場以上に条件の良い職場は見つからない…
自分の市場価値を知る良いきっかけとなりました。
そしたらもう、この職場でなんとか乗り切るしかない!
前の部署で取り組んだことを実践し、周囲と密にコミュニケーションをとって、気持ちよく働けるように努力してみました。
【5年目】風通しの良い職場を目指し、業務改善や周囲との気持ちの良いコミュニケーションに努める
当時、優秀かつコミュ力の高い社員さんがいて、その方と一番仲良くなることができ、強い味方がいる状況でした。
このブログでも良く出てくる、リスさんです。
いつもありがとう!
リスさんは、自分の意見をはっきりと伝えることができる人で、私はそんなリスさんを心の底から尊敬していました。
この人と一緒に働くことができたおかげで、カオスな職場でも、負けじと業務改善に向けて動くことができたんだと思います。
そこで、上司から『〇〇のリニューアルに向けて頑張ってほしい』と声をかけてもらい、やったことのない分野の事業でしたが、挑戦してみることになりました。
この挑戦が、さらに自分の自信へと繋がっていきました。
【6年目】約1年かけて事業をやり切り、仕事での達成感を得るが、その後燃え尽き症候群へと陥る
社会人5年目の夏から、6年目の夏にかけて、とある事業のリニューアルを行いました。
ここでも、特に助けてくれる人はおらず、1人で進めることに。
一人ぼっちで仕事を進めるのは慣れていたので、特に何も感じず、淡々と進めていきました。
幸いにも、上司には恵まれたので、自分の意見を後押ししてもらいながら進めることができました。
約1年かけて、その事業は成功しました。
自分で言うのもなんですけど、成功したはず!!!
最後の人事評価でも、最高評価とは言えませんが、2番目に良い評価をいただき、ここでも努力が報われた気持ちになりました。
しかしここで、突然、燃え尽き症候群に陥ってしまいます。
急にやる気がなくなってしまい、もうあとは淡々と仕事をこなすだけで良いか~~といった具合に、落ち着ていきました。
良く言えば、肩の力が抜けたと言いますか、一旦区切りがついたという感じです。
そして半年後、社会人7年目を迎える直前に、妊娠が発覚します。
【7年目】妊娠し、仕事から家庭へと気持ちがシフトする
妊娠がきっかけとなり、これまで頭の中の大半を占めていた仕事というカテゴリーが、一気に小さくなり、家族というカテゴリーが大半を占めるように切り替わりました。
仕事は二の次、一番は家族。
それもあってか、自分自身の精神レベルも少し上がった気がします。
業務に慣れているというのもあるかもしれませんが、以前よりも圧倒的に仕事を進める速度が上がり、要領よく進めることができるようになりました。
仕事は二の次という考え方のおかげで、ちょっとしたミスをしても特に落ち込まなくなり、また翌日からは気持ちを切り替えて業務に臨むことができるようになりました。
新卒の頃とは比べものにならないほど、落ち着いた働き方ができていると思います。
今では、働くことが苦ではありません。
働くことは、日常生活の一部であって、常に考えていることは家族の幸せのこと。
妊娠は私自身を強くしてくれる、良い経験となっています。
定年までのマラソンを走り切るために
社会人はまだたったの6年間とちょっとしか経験していません。
定年まではまだまだ先が長い。
この長いマラソンを気持ちよく走り切るためには、『自分らしく働くこと』を忘れずに頑張りたいと思います。
この6年間、自分らしく働こうと思ったときほど、良い方向に道が切り開かれていった気がします。
頑張らないことが正しいわけではなく、また、頑張りすぎることが正しかったわけでもない。
自分に正直に、自分らしく働くこと。
この気持ちを大切に、育休復帰後も楽しく働き続けたいと思います♪