はじめまして。心理的安全性の高い職場にしたい若手OL、おもち(@omochidaihuk)です。
”警察が児童相談所に虐待の疑いがあると通告した子どもの人数は19年連続で増加”
”2022年度の「パワーハラスメント」相談件数は12万件超え”
昨今、児童虐待やパワハラといった痛ましいニュースが連日報道されています。
こうした、人が人を傷つけるニュースを見るたびに、私は「また負の連鎖が続いてしまったのか…」という思いで胸が苦しくなります。
いじめ、虐待、パワハラ、モラハラといった負の事件が起こる原因は、加害者側の人間性に問題があることが多いです。
彼らは、人を傷つけることによって自尊心を保つ、もしくは傷つけている自覚がないといった問題を抱えています。
そして彼らのほとんどが、「自分が辛い思いをしているのだから相手も同じ辛い思いをするべきだ」「自分は耐えたのだから相手も同じように耐えるべきだ」といった考えを抱いているため、負の連鎖が続いてしまうのだと思います。
そこで今回は、私の考える「自分がされて嫌だったことは他人にはしないことの大切さについて」お話したいと思います。
虐待やパワハラの負の連鎖が続く原因
はじめに、児童虐待やパワハラが世代を超えて続いている原因についてお話します。
虐待やパワハラをしてしまう人たちには次の3つの原因が考えられます。
- 愛着障害を抱えているから
- 上司や親から受けた指導法しか分からないから
- 幸せそうな相手に嫉妬してしまうから
一つずつお話ししていきます。
①愛着障害を抱えているから
1つ目が、「愛着障害を抱えているから」です。
幼少期、親から愛情を注がれず、愛着形成がうまくいかないまま成長した子は、将来愛着障害を抱えてしまう傾向にあると言われています。
愛着障害とは、「甘える」や「誰かを信頼する」などの経験値が極端に低いため、自分に向けられる愛情や好意に対しての応答が、怒りや無関心となってしまう状態のことを言う。
Wikipediaより
愛着障害を抱えている人は、他人を攻撃することによって自尊心を保つ傾向にあるため、こういった人たちが大人になると、自分が絶対に勝てるであろう弱い者をターゲットにして、いじめる傾向にあります。
そういう人たちは、自分が攻撃されることを極度に恐れるため、圧倒的な差がある自分よりも弱い者をターゲットにするのです。
その結果、年長者が権力を使って新人にパワハラをしたり、親が子どもに虐待をしたりしてしまうのだと思います。
②上司や親から受けた指導法しか分からないから
2つ目が、「上司や親から受けた指導法しか分からないから」です。
これは、虐待やパワハラとまではいかないにしろ、多くの人がやりがちな行為です。
上司から教わったマネジメント法しか分からないため、後輩にも上司と同じように指導してしまうということがあります。
特に、自分はそのやり方で教わったから、といった前例踏襲主義の方に多いです。
引継書やマニュアルがない中、見よう見まねで教わった人や、体育会系のノリで厳しく育てられた人は、「辛いながらも耐えた自分は偉い!もちろん、下も同じように強く育つべきだ!」といった理論のもと、同じように良くない指導法で下を育てようとします。
これは子育てでも同じで、自分が親から受けた指導法を、自然とわが子にもしてしまうことがあります。
良い指導であれば引き継ぐべきですが、悪い指導については本来刷新していくべきなのに、自分が耐えたからという理由で、下にも同じような方法で指導してしまうのです。
③幸せそうな相手に嫉妬してしまうから
3つ目が、「幸せそうな相手に嫉妬してしまうから」です。
自分がされて嫌だったことを他人にはしないという気持ちで、相手に優しく接することができたとしても、その相手から批判的な言葉を言われたり、感謝されなかったりすると、「あなたは私よりも恵まれているはずなのに、なぜそんな態度をとるのか」といった嫉妬心が生まれ、相手を傷つけてしまう場合があります。
パワハラを受けていた上司が「俺たちが若かったころはもっと厳しいことを言われていた」と言って、生ぬるい環境で育つ新人に対し、嫉妬してしまい、同じように酷い態度をとるといった行動があげられます。
また、虐待も同じで、わが子からわがままを言われた瞬間、「自分は幼少期、親に反抗なんてできなかったのに、わが子はずるい。」といった嫉妬の感情が生まれ、必要以上に厳しく育ててしまうといったこともあり得ます。
このように、自分が得られなかったものを、なんの苦労もせずに得ている人に対し、嫉妬心が生まれ、厳しく当たってしまうのですね。
たしかに、自分が得られなかったものを、何の感謝もせず、さも当たり前かのように得ている人を見ると、どうしても嫉妬してしまいますよね。
しかし、自分がされて嫌だったことを他人にしてしまったら、過去自分に危害を加えてきた人たちと同レベルになってしまい、同じように不幸な道へ進むことになります。
辛いかもしれませんが、あなたの代で負の連鎖を止めることが重要なのです。
次に、負の連鎖を止めることの大切さについて、私の考えをお話します。
負の連鎖を自分の代で止めることの大切さ
次に、負の連鎖を自分の代で止めることの大切さについてお話します。
負の連鎖はいつか誰かが止めなければなりません。
負の連鎖を自分の代で止めろと言われると、なぜ自分だけ辛い思いをしなければいけないのか、自分だけ損な役回りではないかという気持ちになると思います。
「上司からろくな指導を受けなかったけど、自分はマニュアルや引継書を丁寧に作り、後輩に優しく指導する。」
「親から虐待を受けていたけど、我が子には愛情をたっぷり注ぎ、子どもの意思を尊重する。」
かつて自分がしてもらいたかったことを、自分の過去を知らない人に無償で提供するには、相当な心の広さと慈悲深さがないとできないことです。
しかし、負の連鎖を止めることができたそのときこそ、過去の自分を救い、自らの成長に繋ぐことができるのではないかと思います。
私の考え方で、落とされた位置から棟の上まで登るゲームという考え方があります。
ランダムで落とされた位置から、棟の上=幸せを目指し、それぞれ突き進んでいくゲームです。
生まれた環境によって、それぞれ、普通の環境であれば地面、より幸せな環境であれば木の上、劣悪な環境であれば地面より下の穴、といった感じで、人それぞれでスタート地点が異なります。
もちろん、木の上からスタートした人のほうが一番有利なのですが、その人は登る辛さを知らないため、棟を登っている最中、すぐに挫折してしまう可能性があります。
その点、地面より下の穴から這い上がった人は、棟よりも足場の悪い地面の下から這い上がっているため、棟なんて楽々登ってしまいます。
その結果、穴からスタートした人は、他の人よりもスタート地点は一番下であったにも関わらず、地面や木の上からスタートした人たちを余裕で追い抜かし、ぐんぐんと棟を登っていくのです。
つまり、逆境を乗り越えた人は、普通に過ごしてきた人たちをはるかに上回る精神力と器の広さを手に入れているため、どんな試練でも乗り越えられる強さがあるということです。
ここで、負の連鎖から抜け出せない=一生穴の中でもがいているだけだと、いつまでたっても塔の上には行けません。
しかし、地面に這い上がれたそのときには、誰よりも強い不屈の精神力が手に入っています。
負の連鎖を止めることができれば、自分の力で幸せを掴みにいくことができ、また後世にも良い流れを引き継ぐことができます。
他人のためだけでなく、自分の成長のためにも、負の連鎖は止めるべきなのです。
余談ですが、私の好きな曲で、Official髭男dismの「ミックスナッツ」という曲があります。
様々な種類のナッツが入り交ざっていて、自分は他のナッツとはちがうピーナッツのようだ、という表現があります。
ミックスナッツの中のアーモンドやカシューナッツ、くるみ、ピスタチオは全て木の実ですが、ピーナッツだけは豆で、木の実ではないんですね。
SPY×FAMILYの主題歌であったことから、おそらく豆であるピーナッツが、他の木の実と同じようにミックスナッツに入り交ざる=家族を装ったスパイ、といった表現なのだと思います。
私はこの曲を初めて聞いたとき、2番のとある歌詞に感動しました。
生まれた場所が木の上か地面の中か
ミックスナッツ 歌詞より https://utaten.com/lyric/mi22033031/
それだけのちがい
許されないほどにドライなこの世界を
等しく雨が湿らせますように
アーモンドやくるみなどのナッツは木の上で育ちますが、ピーナッツは地面の中で育ちます。
成長させてくれる雨は、木だけでなく地面にも等しく降り注がれます。
つまり、生まれた場所がちがかったとしても、成長するチャンスは良くも悪くも平等に与えられるということです。
実際、ピーナッツってアーモンドやくるみと比べてカロリーは低いし、良質なたんぱく質も多く含んでいて、お値段も比較的安いんですよね…!一番優秀では?
そんな想いを寄せながら、この曲を聴いていました♪
髭男の曲って歌詞が素晴らしいですよね。「Cry Baby」の転調が激しい感じも最高に大好きです。
それでは、負の連鎖を止めるためには、どういった気持ちで行動すれば良いのでしょうか。
次に、私の考える負の連鎖を止めるための取組についてご紹介します。
負の連鎖を止めるための具体的な取り組み
私の考える負の連鎖を止めるための取り組みは次の5つです。
- 自分がされて嫌だったことは、他人にはしないという正義感に変換する
- 子どもや後輩が生き生きとしていたら、それは自分が負の連鎖を止めた証であり誇りに思う
- 自分のレベルと相手のレベルを一緒だと思わない
- 見返りを求めない
- 相手に優しくできる自分を最大限に褒めてあげる
順番にご説明します。
①自分がされて嫌だったことは、他人にはしないという正義感に変換する
1つ目が、「自分がされて嫌だったことは、他人にはしないという正義感に変換する」です。
自分がされて嫌だったことを、他人にはしないよう心掛けるためには、強い意志が必要です。
私は、他人から嫌なことをされたら、自分は決して同じことを他人にはしないということを、自分の使命だと考えるようにし、大げさにでも正義感に変換しています。
正義感に酔ってしまうほど大げさでも構いません。
他人からはきれいごとだと言われることもありますが、それくらい強い意志で自分を戒めるよう心掛けています。
②子どもや後輩が生き生きとしていたら、それは自分が負の連鎖を止めた証であり誇りに思う
2つ目が、「子どもや後輩が生き生きとしていたら、それは自分が負の連鎖を止めた証であり誇りに思う」です。
冒頭でもお話しましたが、自分が得ることができなかったものを、当たり前のように享受している他人に嫉妬を抱いてしまうのは当然です。やるせない気持ちにもなると思います。
そこで、生き生きとしているわが子や後輩を見た際は、自分は負の連鎖を止めることに成功したのだと喜び、誇りに思うと良いです。
自分が負の連鎖を止めることができたからこそ、後世の人たちは幸せに過ごすことができているのです。
それは、自分自身の成長の証でもあり、それを実感したときこそ、負の連鎖から抜け出せるのだと思います。
③自分のレベルと相手のレベルを一緒だと思わない
3つ目が、「自分のレベルと相手のレベルを一緒だと思わない」です。
自分が耐えることができたからこそ、相手にも同じレベルで耐えることを強制しようとする人がいます。
自分のときはもっと辛かった、これしきのことで悲しむなんてお前は弱い!といった感じで、相手を自分と同じレベルで考えてはいけません。
人にはそれぞれの器の広さ、メンタルの強さがあります。
自分にとって辛くないことでも、相手にとっては辛いことでもあるのです。
人それぞれで感じ方は異なるということを理解し、相手の気持ちを受け止めるようにしましょう。
④見返りを求めない
4つ目が、「見返りを求めない」です。
後輩や子どもを育てたとき、その子の成長した姿を見ることで幸福を感じるのが、本来あるべき先輩や親の姿なんですね。
もちろん、大切に育ててくれた人や指導をしてくれた人に対し、きちんと感謝の気持ちを伝えられる子に育てることは重要です。
しかし、自分が育ててやってるんだからその子は自分に感謝すべきだ、自分の言いなりになるべきだ、といった過剰な見返りを求めるのは間違いです。
その子にはその子の人生があり、それを後押ししてあげるのが大人の役目です。
目先の見返りを求めるのではなく、自分に良くしてくれた人に対し、心から感謝することができる、そんな心の温かい子に育ててあげることが重要だと思います。
⑤相手に優しくできる自分を最大限に褒めてあげる
5つ目が、「相手に優しくできる自分を最大限に褒めてあげる」です。
これが最も重要です。
負の連鎖を断ち切り、他人に優しく接するには、まず自分自身を愛してあげる必要があります。
自分がされて嫌だったことは他人にしない、そう考えられるだけで十分素晴らしいです。
本来、他人との接し方については、両親から長い時間をかけて教えてもらうものです。
それを自分自身の力で学び、実践することができるのは、本当に素晴らしいことなんです。
他人に優しくすることができる自分を最大限に褒めてあげてください。
自分を愛することができれば、自然と他人にも愛情を注ぐことができるはずです。
最後に
今回は、私自身が大切にしている考え方についてまとめました。
負の連鎖は虐待やパワハラだけでなく、職場風土や仕事の流れでも共通するものがあります。
ずっと同じやり方で続けているから残業が多い、新人いじめが続くから転職者が多い…
こういった問題に直面したとき、果たして自分から動いて負の連鎖を止めることができるのでしょうか。
以上!おしまい!